メジロの森 蜜柑を啄む

メジロってすごく好き カワセミもカワセミの青も素敵 ただそれだけさ

風神様が守ってくれてるこの夜風

こんばんわ、メジロです

 

今日の千葉県は風が強いですね

 

風神様が空の上にいらっしゃったのでしょうか?

 

メジロは5年前までは神様の話に興味はありませんしむしろ馬鹿にしていました

 

あるとき貧乏神のお話が漫画家の西岸良平さんの鎌倉物語に出てきたんです

 

すると、貧乏に関してすごく理解が深まりました

 

その後、神様という存在は人の心を現したものですごく神様を知ると人の心を理解しやすいことに気づいたのです

 

 

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これはいちおう「風神様」を書いたのですが

 

メジロの絵には自分の好きなように解釈してほしいという想いがあります

 

 

 

こないだ、とある文章の先生のブログを読みました

 

そこには「コロナによって夫婦関係がうまくいかなくなった」と書かれていました

 

そして、「いままで夫婦関係をこういうのが正しいし普通」を無意識に言っていたことに対する

 

謝罪の言葉があります

 

彼女は自分がつらい目にあうことで初めて普通を他者にあてはめられる苦しさを知ったと思われます

 

 

何か正しさに当てはめるよりも自分が解釈したいように解釈して自分で選択してくことが

 

大切だという思いから解釈の幅が広くなりやすい絵を書くようにしています

 

 

例えば風神様はどこからどこが体なのかわかりませんよね

 

お好きなように体のラインを決めてくださいね

 

 

 

 

大昔、付き合っていた彼女がいました

 

彼女はスピリチュアルの世界を学んでいたのですが

 

メジロが「もしおかしな宗教だったとしても君が幸せなら僕はそれでいいと思う」

 

といったらすごく喜んだのです

 

 

そのときにどの宗教がおかしいとか

 

どんなことが正しいとか人は自分で決めたいのだと改めて思いました

 

 

 

例えば、子供のころ「サッカー選手になりたい」と言ったら

 

メジロはできるだけ応援するよと言われましたが

 

ある人は「現実を見なさい」と言われる人もあったでしょう

 

でも仮にサッカー選手になれなかったとしてもサッカー選手を目指す過程でいろいろな人とであったり

 

協力したり社会の情勢ががわかったり

 

人間として色々体感することができるのではないでしょうか?

 

 

 

「現実を見ろ」というのは本当にひどい言葉だと思います

 

メジロの父は昔、「現実を見ろ」とよく言いました

 

言い方とか伝え方とか伝えるタイミングとかいう人で受け取り方は変わってしまうでしょう

 

 

与謝野晶子が 「きみしにたまふことなかれ」と戦時中に書きました

 

「戦争に行って死なないでください」だったらきっとここまで後世に残らなかったでしょうね

 

 

 

現実を見るということに関してコーチングの方のブログで書かれていて

 

影響を受けたメジロでした