肩を揉むということ ひな祭りの歌詞
こんばんわ、メジロです
今週のお題「雛祭り」
ひな祭りの歌を調べて読んでみたらそれはそれは素敵でした
「5人のまつりばやし」のところなんか5人だったんだと驚きです
あとは「今日は楽しいひな祭り」って歌うほどうれしい気持ちになるものなのだとか
嫁に来たお姉さまのような白い顔をしている人形のところなんか素敵ですねぇ
昨日、ブログを更新しなかったのは何か人と繋がり過ぎた感触がしたし
このブログの意味なんぞが揺らいでいる気がしたため
メジロが日記風の文章を書くのに参考にして勝手に師事している師匠がいて
それを読んだ時のゆっくりした時間にいつも助けられている
つい若いころ熱中していたテレビの影響やもっと子供の頃のトラウマで面白くなきゃだめとかポジティブじゃなきゃダメとかいう主張を思い出して自信を失ってしまう
だけれど、師匠たちの文章や他の人たちのブログを読むと元気が出てきて
こんな気持ちなれるならと書くことに至ります
「融合」なんて題名に使ってしまい、何か資本主義や化学の悲しいニュアンスになってしまったことに後悔しました
「融合」という単語はどこで覚えたかといえばカードゲームの遊戯王の中で小学生の頃に覚えた
だけど、大昔からメジロは勝負が何もかにも弱くて今思い返すと勝負自体に才能がなかった
子供のころはエジソンとかライト兄弟とか、ガンダムとかドラえもんとか、いまならテスラとかを象徴する科学と資本主義が幸せにしてくれるという望みを持っていたけれど
大人になるとあんまりそうではないことに気が付いてびっくりした
これだけヤマザキのランチパックやセブンイレブンにお世話になっているからあまり科学を悪くは言えないし
洗濯機や冷蔵庫がどれほど私たち人間に「時間」を与えてくれたかついつい忘れてしまう
科学は羨望や嫉妬をという悩みを消してくれない
芥川龍之介の「煙管」を読んだ
大名や僧という資産の有り余る人々でもやっぱり羨望や嫉妬に狂い苦しんだのだと
改めて思う
今の世でも樋口一葉が書いた世界のように「女の肩を男が揉むと恋が始まる」のは同じことだ
もし科学が肩を揉んでも恋が始まらなくしてしまったらそれは怖い世界なような気もする
いま日本はダイバーシティができたように多様な生き方を認める動きがある
逆に言うと何が正解かわからない世界で昔みたいにたくさん働いてたくさん科学の力を使えるようになったら幸せ
みたいな正解が無くなってメジロは戸惑ってきた
メジロの両親はいつも働いてばかりだった
働いてなくてもいつも焦ったように社会活動とかにとにかく忙しくして
家庭はセカセカしていた
これで幸せなんだろうかと
それがメジロの原点でもあって
戦中に生まれた叔母の家に行くと「本を読みなさい」とか「箸の持ち方がお兄ちゃんの方がうまいね」
とか「私はどこどこの山に登った」「正確なNHKのコロナの数値は○○」
とか何か気張って疲れるようなことばかり言う
誰も「梅の花の蜜を蜂が集めている」とは言わなかったし金にもならないというかもしれない
かと言って
地元の仲間に会えば
「どこどこライブにいった」とか
「あの漫画キモイよね、マジで」とか
仲間に会えてうれしかったけれど、何か落ち着かないことばかり言って
叔母さんと話すよりはマシだけれど何か疲れ果てる気もしてくる
かといってメジロもそんなに美しい心を持っている人間でもなく
そのことをいつも忘れてしまう
何が正解なのかわからないですね
皆さんは何が正解だと思いますか?